カゲプロとは
2011年、ニコニコ動画に「人造エネミー」という曲が投稿される。
これは、じん(自然の敵P)によるボーカロイドの楽曲だ。
独特な世界観がヒットし、“ただの一曲”としては終わらない違和感を、多くの視聴者に残した。
やがて、じんは次々と新曲を投稿していく。
「メカクシコード」「カゲロウデイズ」「ヘッドフォンアクター」など、
楽曲同士が緩やかに繋がっていることに、リスナーは気づき始める。
登場人物の名前、視点、時間軸。
一曲ごとにバラバラに見えた要素が、
少しずつ一本の線になっていく感覚。
そして決定打となったのが
**「カゲロウデイズ」**の大ヒットだった。
夏、8月15日、繰り返される一日。
死とやり直しという強烈なテーマ。
耳に残るメロディと、胸をえぐる歌詞。
この曲をきっかけに、
「カゲプロ」という言葉が自然発生的に広まり、
“楽曲を追うこと=物語を追うこと”という文化が生まれた。
当時のニコニコ動画の熱量は、今振り返っても異常だった。
新曲が投稿されれば即座にランキングに入り、
コメント欄は考察と感想で埋め尽くされる。
「この歌詞はあの曲と繋がっている」
「この人物はあのキャラでは?」
動画を止め、巻き戻し、歌詞を読み返し、
コメントを追いながらもう一度再生する。
そんな視聴体験が当たり前だった。
公式の答えはほとんど出ない。
だからこそ、
**“自分たちで物語を組み立てている感覚”**があった。
こうして、一曲のボーカロイド楽曲から始まった物語は、
やがて小説、漫画、アニメへと広がり、
「カゲロウプロジェクト」として確立されていく。
このブログを読んでいる読者がアラサーであれば、暗黒期であることにまず間違い無いだろう。
勿論、筆者はLINEのアイコンをセトにしていたキッズの一人だった。
なぜ10年前の作品が、再びアラサーに刺さったのか
ふと立ち寄った某中古本屋、懐かしい表紙を見た。
「カゲロウデイズ」の漫画だ。
当時、流行に乗っていただけの筆者は曲とアニメしか見ておらず、漫画や小説とは縁がなかった。
ちょうど暇を持て余す時期だったので、全巻大人買いすることに。
・・・
漫画を読み、衝撃を受けた。
それはそうだ。当時は謎の作画崩壊アニメ(割愛)くらいしか見ていなかったが、漫画版カゲロウデイズはとにかく作画がいい。(というよりエネとアヤノが可愛い)
初めは懐かしいという感情だけで読んでいたが、4巻からアニメと展開が異なることに気付く。
俺の知っているストーリーじゃない・・・?
俺の当時の記憶では、12話という短い話数でラスボスを倒しハッピーエンド、というよくある打ち切りアニメ展開だったが、この作品、めちゃくちゃキャラが死んでいく。
カゲロウデイズというループを繰り返す話というのは知っていたが、こんなに無惨に殺されていくのかと、アニメとのギャップを思い知る。そう、Re:ゼ⚪︎のような面白さがこの作品にはあった。
アニメしか知らない層は、カゲプロを、ただ中学生ウケするギャグコメディ物と評価するだろう。
なのでこの歳で「カゲプロが面白い」と周りに話すと冷笑されるのがオチだ。
しかし、このカゲプロという作品、「カゲロウデイズ」という漫画のジャンルはもはや
「ダークファンタジー」なのだ。(筆者視点)
みんなで敵を倒してハッピーエンド なんて生ぬるいアニメでは満足出来ないアラサーに、
この理不尽過ぎる死はとても刺さる。
当時中学生の筆者からすると、主人公のシンタロー、カノ、セド、キドなど、主要メンバーはみんな年上だった。
しかし10年経った今はどうだ。
高校生という幼い少女(誰とは言わない)が、家族のために、シンタローのために、
世界のために身を犠牲にするシーンは、ティッシュ1箱では見ていられない。
考察をすればするほど、ある一人の女の子の死だけは回避出来ない事実を知る。
あまりに丁寧に描かれないばかりに、考察すればするほどキャラ一人一人の闇が暴露されていく。
と、ここまでざっくり書いたが、もう筆者は寝たいので続きはまた今後。
カゲプロをなんとなく知っているというアラサーは、ぜひ漫画版「カゲロウデイズ」を読んでみてほしい。小説は疲れるという人も、漫画版ならスラスラ読めるだろう。
また機会があれば、続きを書こうと思う。ご視聴ありがとう
Rynel



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