花譜の代表曲、過去を喰らうとEAT THE PAST(English Ver.)を元に、完全自己解釈で小説を書いてみました。
第一章 過去喰いのウグイス
春はいつも遅れてくる
空気の匂いだけ先に変わって、肌が置いていかれる
「愛した理由も忘れちゃって」って、口に出すたび
言葉だけが先に溶けて、胸の奥が追いつけない
僕の街には、過去を売ってる屋台がある
駅の裏の、線路沿いのフェンスの影
夜になるとだけ、布がかかったテーブルが並んで
缶詰みたいな瓶が置かれる
ラベルには、味の名前が書いてある
「初めての拍手」
「好きだった雨」
「制服の袖の匂い」
「あなたが笑った瞬間」
「許せなかった朝」
そして一番端には、ラベルのない瓶がある
透明で、何も入ってないように見えるやつ
だけど近づくと、喉の奥が勝手に乾く
あれが「過去」そのものなんだと思う
屋台の主は、ウグイスの面をかぶっている
木彫りの小さな面
口元だけ赤く塗られてて、笑ってるのか泣いてるのか分からない
声も、男か女か分からない
ただ、やけに優しい声で言う
「食べる?」
「捨てる?」
「どっちでもいいよ」
過去を食べるなんて、最初は冗談だと思った
だけど僕の胸は過食気味で
泣きたいときほど、何かを詰め込みたくなる
空腹じゃなくて、空洞を埋めるみたいに
僕はラベルのない瓶を手に取った
重さがない
なのに指先だけが痛い
爪が、少し浮いている気がした
「これ、味するの」
僕が聞くと、ウグイスは面の奥で小さく笑った
「するよ
忘れたい味」
瓶の蓋をひねると
中から息みたいなものが出てきて
僕の鼻の奥を一気に抜けた
その瞬間、視界が少し白くなる
肌の色すら見えなくなっている
歌詞みたいに思った
僕は自分の腕を見たけど
そこにあるはずの血の気も、体温も、どこかへ消えてた
それでも
喉は、勝手に飲み込んだ
次の日の朝、雨が降っていた
昔なら好きだったはずの雨
でも僕は、雨を好きだった理由を思い出せない
ただ濡れるだけの音
ただ冷えるだけの匂い
僕の中で何かが削れていく感じだけが、はっきりした
その代わり、胸が軽い
軽いというか、空っぽに近い
痛みが消えたわけじゃない
痛みの場所が分からなくなった
それが、過去を喰らうってことだった
過去は、痛みを薄める
だけど同じくらい、好きだったものも薄める
僕はその日、卒業証書を破いた
机の引き出しの一番奥
触るだけで紙の端が崩れるみたいな古いやつ
「おめでとう」って、誰かの文字
誰かの笑顔
全部まとめて、ビリビリって音に変える
破った紙は、なぜか軽くて
手を離すと、ふわっと浮いた
窓の隙間から夜へ抜けていって
星の方へ舞い上がっていった
あの瞬間だけは
僕はちゃんと見てた
「夜空になって舞ってった」
歌詞が勝手に口から出た
僕は少し笑ってしまった
あなたの涙を見て笑えたら、ってフレーズが浮かんで
笑う理由が、優しさじゃないことも分かった
恥を知らない
じゃなくて
恥を感じる場所を、喰らってしまった
街は大人でいっぱいだ
大人たちは歌を歌いたがる
意味のある言葉を持ってる顔をして
実際は、意味にすがってるだけで
歌ってる自分が好きなだけ
駅前のスクリーンは、毎晩同じCMを流す
「未来のために」
「今こそ変わろう」
「あなたならできる」
僕はその光を浴びながら歩く
浴びるたびに、何かが剥がれる
爪が、また浮く
反抗期だと疎まれた子供たちは復讐に走り
復讐って言葉は鋭いけど
僕らがやってるのはたぶん
自分の痛みを、誰かに見える形にしたいだけだ
それでも
夜になると僕は屋台へ行く
ウグイスの面が待っている
貪欲な顔で待っている
僕らを待っている
「今日はどれ」
ウグイスが聞く
僕は棚を見渡す
「初めての拍手」
「好きだった雨」
「あなたが笑った瞬間」
その瓶だけは、眩しくて触れない
あれを飲んだら
僕はきっと、あなたを忘れる
忘れて楽になるんじゃない
忘れて、空っぽになる
僕はラベルのない瓶をまた取る
怖い
でも喉がもう、それを覚えてる
痛みが来る前に飲めば、痛みの形が分からなくなるから
「それ、楽だよね」
ウグイスがぽつりと言う
責める声じゃない
むしろ、同情みたいに優しい
僕は言う
「楽っていうか
何も感じない」
「感じないの、好き?」
「好きじゃない」
「じゃあなんで食べるの」
「…歌わなくて済むから」
侘しさも悲しみもなければ
夜が死ぬたび歌なんて歌わなかった
僕はその一行を、噛んだ
噛んでも味がしない
だからまた飲み込む
過去を喰らうと
歌が消える
でも同時に
あなたへ伸びる道も消える
それが怖いのに
僕は、怖さまで喰らってしまいたい
ある夜
屋台の前に、ひとつのスマホが落ちていた
画面が割れていて
それでも通知だけが光ってる
僕は拾って、画面を見た
そこには短いメッセージ
「元気?」
送り主の名前は、あなた
指が震えた
震えたのに
心は震えない
それが一番きつかった
僕は屋台のウグイスを見た
「これ、俺のじゃない」
ウグイスは面の奥でうなずく
「でも、あなたのだよ」
って言った
意味が分からなくて
僕は笑った
笑えた
あなたの涙を見て笑えたら、みたいな笑い方で
「会える?」
ウグイスが聞く
僕は喉の奥で、瓶の味が広がるのを感じた
過去が、僕の中で歯を光らせている
暗闇で待っている
僕を守るふりをして
僕から、あなたへの道だけを喰っていく
「会えるわけない」
僕は言った
「怖いから」
「大人になるのが?」
「強くなるのが」
僕は息を吐いた
「今のままでも痛いのに
強くなったら
もっと痛いと思ってた」
ウグイスは何も言わなかった
ただ、ラベルのない瓶を手のひらで転がした
カラカラと音がしないのが、逆に怖い
「最後にひとつだけ」
ウグイスが言う
「過去は、食べても減らないよ」
「え」
「減った気がするのは
あなたが減ってるだけ」
僕はその言葉を理解したくなくて
スマホを強く握った
ガラスの破片が指に食い込んで痛い
痛いのに
その痛みだけが、今の僕に残ってる現実みたいだった
その夜、僕は瓶を買わなかった
ラベルのない瓶に、手を伸ばさなかった
代わりに、割れたスマホの画面を拭いた
画面の中であなたに会えたら
思い出すのは後悔ばかりだ
でも
今でも愛しいよ
あの頃に今も戻りたいよ
僕はそれを、初めて「言葉」で思った
飲み込むんじゃなく
吐き出す方の言葉
指先の爪が少し浮いている
でも、まだ剥がれてはいない
僕は爪を押さえながら
メッセージを打った
「元気じゃない」
それだけ
送信ボタンがやけに重い
重いのに
押した瞬間、胸の奥が少しだけ痛んだ
痛い
けど
それは、嬉しい痛さだった
過去を喰らうと
痛みは消える
だけど
痛みが消えると
好きも消える
僕は、痛みを少しだけ残したかった
あなたへ伸びる道を
全部は喰わせたくなかった
遠くでウグイスが鳴いた
春の鳴き声
夜の中の小さな針みたいに
僕の耳を刺した
泣きたくなった
泣けるってことが
まだ僕の中に何かがある証拠みたいで
少しだけ安心した
過去は、そこで待っている
貪欲な顔で待っている
でも
僕が全部食べなければ
過去はただの影になる
喰われる側じゃなく
喰う側でもなく
ただ、見つめる側になれたら
いつか
夜が死ぬたび
歌なんて歌わなかった、じゃなくて
歌ってもいい夜になるのかもしれない


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